The Way We Were

The Way We Were♪

「The Way We Were」シリーズも第18話を数え、ネタも尽きたので、最後に、バーブラ・ストライザンドの歌でヒットした「The Way We Were」という曲の詩で終わりにしたいと思います。

また、何か思い出したら追加するかもしれません。

Memories, light the corners of my mind

Misty watercolor memories

Of the way we were

思い出が、私の心を隅々まで照らし出す

かすんだ水彩画のような

あの頃の僕らの思い出

          

Scattered pictures of the smiles we left behimd

Smiles we gave to one onother

For the way we were

散らばった写真には、そこに残して来た笑顔が溢れている

互いに交わした笑顔の数々

僕らが僕らであるために

          

Can it be that it was all so simple then

Or has time rewritten every line

If we had the chance to do it all again

Tell me, would we, could we

あの頃は全てが単純だったのかな?

それとも、時間が全てを書き換えてしまったのかな?

もしも、もう一度あの頃をやり直すチャンスがあるとしたら

どうする? やってみる? そんなことできる?

          

Memories may be beautiful and yet

What's too painful to remember

We simply choose to forget

So it's the laughter we will remember

Whenever we remember the way we were

The way we were

思い出は美しいかもしれないけど、でも、

思い出すことは辛いことでもある

それで、つい忘れることを選んでしまう

だから、あの頃の僕たちを思い出すときには

いつも笑い声を思い出す

          

The way we were

ああ、あの頃の僕たち・・・

※この曲は、映画『追憶』のテーマで、主役を演じるバーブラ・ストライザンドとロバート・レッドフォードの恋物語の主題歌なので、本来、男女2人のことを歌った詩なのでしょうが、勝手に幼少の頃の思い出風に訳してみました。

原詩を作られたバーグマン夫妻、ごめんなさい。。。

追憶 Music 追憶

アーティスト:バーブラ・ストライサンド
販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2002/06/05
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ナイス、勘違い!

「The Way We Were」シリーズ第18話は、小4の時のお話です。

小4のときのF先生は、授業中ふざけてみんなに迷惑をかけるような生徒に対して、それがあまりにも度を越した場合には、その児童の席を最前列より更に前に移動させ、1週間くらいそこに座らせるといった罰を与えてました。

ほとんど、教壇の真横で授業を受ける形になります。

例によって、授業中であろうとジッとしていられない私は、1年間のうちに数回、その特等席で授業を受けさせて頂くことになりました。

どうしてだか隣の席のヤツに、ついついチョッカイを出してしまうんですよね。

その罰のお世話になるのも3度目くらいの頃だったでしょうか。

特等席に座り始めて3日経ったところで、F先生が私を呼んで言いました。

「この罰は、1週間という約束だけど、明日は参観日なので、明日だけ本来の席に戻ってもええよ。

お母さんに恥をかかせるのも情けないじゃろうから。

私も本当は、最初に決めた決まりに例外を許すのはポリシーに反するけど、参観日のことはうっかりしとった。

まぁ特例じゃ!」

私は、自分が悪いから罰を受けているという自覚があった訳だし、特例なんてみっともない措置を受け入れるのは男らしくないと思い、せっかくの先生のご好意を受け入れず、生意気にも言いました。

「決まりは決まりじゃけぇ。 参観日じゃからって甘えとれん!」

翌日、私は恥かしさで顔から火の出る思いをしながら参観授業を耐え抜きました。

「お母さん、恥かかしてスマン!」

と何度も心で唱えながら・・・。

恐る恐る帰宅した私に、なんとお袋は、

「さざまる、私しゃあ、今日は鼻が高かったでよ。

あんな特等席で授業受けさせてもろうて。

良うできるけえじゃろうちゅうて他のお母さん方から褒められたんよ。」

何たる素敵な勘違い!

そして、本当のことを言わないまま、今に至りますw

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おまえのかあちゃん で~べ~そ♪

「The Way We Were」シリーズ第17話は、小1の時のお話です。

小1のときの一番の悪友は、間違いなく同じクラスのしんちゃんでした。

しんちゃんは、我ら4人グループのリーダー的存在でした。

いつも、イタズラや新しい遊びはしんちゃんがやり始め、他の3人はそれに加わるといった関係でした。

ただ、ガキ大将といった風ではなく、どちらかと言えば一匹狼的な雰囲気で、クラスのメインのグループとは一線を画しており、そのしんちゃんに他の3人が勝手に引っ付いてるといった感じでした。

そんなしんちゃんの家に、どうしてだったか、私だけ一人で泊まりに行くことになりました。

親戚の家以外にたった一人で泊まりに行くのは、初めての経験でした。

不安でいっぱいでしたが、密かな楽しみもありました。

しんちゃんのお母さんは、おませな私が思うにクラス一の美人かあちゃんでした。

しんちゃん家はお世辞にも裕福とは言えず、古びた借家に住んでましたが、お母さんは、どこか上品な色気を持ち合わせた美しい女性でした。

夕食後、しんちゃんと、しんちゃんの弟、妹と4人でお風呂に入っていると、突然そのお母さんが、素っ裸で入って来ました。

驚いた私は、思わず先に上がってしまいました。

風呂から上がって、子供たち4人で遊んでいたんですが、理由は忘れてしまいましたが、しんちゃんと言い合いになってしまいました。

しんちゃんが言いました。

「ば~か か~ば ちんどんや おまえのかあちゃん で~べ~そ♪」

私も言い返しました。

「ば~か か~ば ちんどんや おまえのかあちゃん で~べ~そ♪」

その瞬間、突然しんちゃんが踵を返し、子供部屋から出て台所の方に向かいながら叫びました。

「お母さ~ん、さざまる君がお母さんのことでべそってゆうた。」

私は、しまったぁ!

と思い、弁解の言葉を探しながら、慌ててしんちゃんの後を追っかけて行きました。

すると、しんちゃんのお母さんは笑いながら言いました。

「私しゃあでべそじゃないよ。 さっき、お風呂で見たでしょう。 もう一辺見る?」

私「い、いや。 ごめんなさい。」

今思えば、憧れの女性に嫌われたくないと思って必死になった、初めての出来事だったかもしれません。

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いたずらあまんじゃく

「The Way We Were」シリーズ第16話は、七五三にまつわる思い出です。

私が5歳のときは、姉が7歳、弟が3歳となり、3人揃っての七五三でした。

私たち兄弟3人は、母親に連れられてお宮参りをしました。

父親は仕事で、お宮参りには来れなかったんですが、仕事の帰りに、絵本を買って来てくれました。

姉には「かたあしだちょうのエルフ」、弟には「これなあに」そして私には「いたずらあまんじゃく」というタイトルの絵本でした。

3歳になって、「これ何? これ何? これは?」と、いろんな事に興味を持ち始めていた弟には「これなあに」と言う絵本。

女の癖に男まさりで、根性だけは人一倍持ち合わせていた姉には勇敢なだちょうのお話。

いたずら好きで、人と反対のことを言ったりやったりしたがるひねくれ者の私には、天邪鬼のお話。

仕事ばかりで、あまり子供たちに構うことの少ない父でした。

そんな父が、子供たちの特性に合わせた絵本を選んでくれたのかなと思うこともできますが、単にそれぞれの年齢に合わせた絵本を買って来ただけなのかもしれません。

いずれにしろ、私は、「絵本の主人公、あまんじゃくの振り見て我が振り直す」どころか、天気を思い通りに操れるあまんじゃくを羨ましく思うと同時に、自分の仲間を見つけた気がして、むしろ安心して、「いたずらあまんじゃく」ぶりに拍車がかかって行くのでした。

かたあしだちょうのエルフ Book かたあしだちょうのエルフ

著者:おのき がく
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お袋さん、そりゃないぜ!

「The Way We Were」シリーズ第15話は、幼少期の母親のしつけに関する思い出です。

とにかく、母親からは良く頬を叩かれました。

いわゆるびんたってやつです。

当然、悪い事をしたときだけです。

1度目は口で叱られて

「もうしません。。」

と約束をさせられるんですが、にも拘わらず、同じ悪さをした場合には手が出ます。

それが、同じように悪さをしても、小学5年生からはぱったりと叩かれなくなりました。

大人になって振り返ったときに、

教育方針として、成長したら口で諭すようにしようと決めてたのかなぁ。

と考え、いつか母親に聞いてみようと思ったこともありましたが、永らく、そう思った事すら忘れてました。

それが、昨年、寝たきりのため母親に身の回りの世話をしてもらっていたときに、ふと思い出したので聞いてみました。

「小さい頃、悪さしては叩かれて育てられたけど、5年生になったときから急に叩かれんようになったよねぇ。 もともとそのように決めてたん?」

すると驚いたことに母親が言いました。

「はぁ? 私は子供を叩いたりしたことは無いよ!」

え”ーーーーーーーーーーーーーーーっ!?

母「1回だけ、さざ吉(弟)が高校の頃にぐれかけたとき、情けのうて頬を張ってやったことはあるけど、そのときだけじゃと思うよ。」

私「そんなアホな。 わしは毎日のように叩かれた記憶しか無いくらいやのに。 そりゃないで!」

私は、母に厳しく育てられた事を感謝し、誇りに思って来たんですが、あんだけ散々叩いといて憶えてないとは・・・。

何と言っていいか、「とほほ。。。」って感じですわ。

随分しばらくしてから、

言い訳がましく母が言いました。

「段々思い出してきた。 そういやあ、あんたは悪さばっかしよったけえ・・・。 

じゃろう?

私は二十歳でお父さんのとこに嫁いで来てすぐにさざみ(姉)が産まれて、気がついたら3人の子の親になっとって、生活するだけで必死やったけえ、あの頃の記憶があんまし無いんよね。」

まあ、かく言う私とて、寝たきりにならなければ、こんなにガキの頃のことを思い出すこともなかった訳で、お袋が急に思い出せないのも仕方ないかと思い直しました。

また、いつだかテレビで、女優の高畑淳子さんが、

「舞台女優をこなしながら女手一つで子供を育てたんだけど、毎日必死で、どうやって育てたか、あんまり憶えてないのよ。」

な~んてことをおっしゃってたのを思い出しました。

案外、そんなもんかもしれませんね。

と納得することにしました。

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動物園にて

「The Way We Were」シリーズ第14話は、小3の頃の思い出です。

小学校の裏門を出たところの道路を渡ると高校がありました。

その高校の校庭を横切って裏門から出たところに、動物園がありました。

小3になると、校区内なら自転車で乗り回していい権利が手に入ったので、放課後、学校から帰るとすぐに自転車に乗って動物園に行き、クラスの友達と遊んでました。

その動物園は市営で、市内の小学生は、ただで入場できたんです。

何をして遊ぶかというと、動物を見るのはたま~にで、ほとんどはオブジェとして置いてあったD-51(SL)に乗って遊んでました。

D-51の屋根(?)の上を、鬼ごっこのような事をしてみたり、最後尾から先頭まで競争したりと、走り回ってました。

D-51の上はいろんな突起物があって、とりわけ屋根の上の障害物競争とでも言いましょうか、スリル満点の度胸試しも兼ねてたんです。

ある日(私たちの仲間はいなっかた日ですが)、別のクラスの子がそのD-51から落ちて、頭がパックリ割れる重傷を負うといった事件が発生し、D-51で遊ぶことは禁止になってしまいました。

ちなみに、動物園の中では、サル山のコーナーと、キリンを眺めてるのが好きでした。

ただ、どの動物を見ても、野性の王国(当時のテレビ番組)で見るような大平原を、自由に走り回らせてあげたいという思いがつきまとってました。

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大岡裁きとは違うよ

「The Way We Were」シリーズ第13話、幼稚園の頃のお話です。

家の近所で、友達3人と遊んでいると、1円玉が1枚落ちているのを見つけました。

「お金を拾ったらお巡りさんに届けなさい」と幼稚園で教えられてたので、3人とも迷わず、すぐ近くにあった交番に持って行きました。

ちっぽけな交番で中が狭いため、2人を外で待たせておいて、私が代表で中に入りました。

私「お巡りさん、1円拾ったよ。」

お巡りさん「良ぅ届けてくれたのぉ。 偉い偉い。 その気持ちが嬉しいけぇ、今回は君にあげるわ。」

思わぬお巡りさんの言葉に戸惑いながらも、

私「外にあと2人おるんやけど・・・。」

すると、お巡りさんは、自分の財布から1円玉2枚を出して、外で待っていた2人に渡してくれました。

家に帰って、今日の出来事を母親に言うと、

母「そりゃあ、お巡りさんも災難じゃったね。 でも、ええことしたね。」

私は、いい事をしようとしたはずなのに、本当にいい事をしたのか良くわからなくなり、また、子供だからとバカにされたような気持ちも混ざり、複雑な気持ちで1円玉を握り締めてました。

今思えば、お巡りさんは、純粋に幼い気持ちが嬉しかったからそうしたのか、単に一円で正規の手続きをするのが面倒だったからなのかはわかりませんが、紛失届け手続きのふりでもいいからして欲しかったですね。

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れんげ畑のある風景

「The Way We Were」シリーズ第12話は、2歳から小3の終わりまで暮らしていた社宅アパート周辺についての思い出です。

アパートの北側に棚田がありました。

春になるとその棚田一面にれんげが咲き乱れます。

そのれんげ畑でライダーごっこやウルトラマンごっこをしながら転がり回るのが好きでした。

れんげの蜜の味は、今でもハッキリと覚えてます。

アパートとれんげ畑の間には狭い斜面があり、そこにはツクシやゼンマイやヨモギが咲いていました。

ツクシやゼンマイは、湯がいて醤油で食べるとおいしかったですね。

れんげ畑の向こうには、父の会社が借り上げた畑があり、社宅の希望者に無料で貸し出されてました。

小学生になったとき、私もその1区画を父から分けてもらい、最初はとうもろこしを育てました。

その後、さらに区画を増やしてもらい、とまと、きゅうり、なすなどを植えました。

鍬で耕す重労働を終えると、後はスクスクと成長して行く苗を見るのが楽しみで、喜んで水や肥料をやりに行ってました。

収穫して母親に感謝されながら家族みんなで食べた味は残念ながら忘れてしまいましたが、多分おいしかったはずです。

せっかく、父に教えてもらった野菜の育て方も、今ではすっかり忘れてしまいました><

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授業抜出し大作戦!

「The Way We Were」シリーズ第11話は、小1の時の思い出です。

学校では、ブランコを思い切り漕いで前方に飛び出し、どこまで飛べるかを競う遊びが流行ってた時期がありました。

お昼休みだけでなく、2時間目と3時間目の少し長めの休み時間(15分くらいだったでしょうか)にもやってました。

ただ、他のクラスでも同じように流行ってるので、限られたブランコをいち早く取ろうと、2時間目の授業が終わり次第、ダッシュでブランコまで駆けてました。

ある日、2時間目の授業が終わる5分くらい前、先生が黒板に向かって何か書き始めたときでした。

私と同じく一番後ろの席に座っていた悪友のしんちゃんが、しゃがんだ恰好のまま私の席まで来て、ひそひそ声で言いました。

「今からもう行こうでや。」

昨日は隣のクラスに先を越され、苦い思いをしていたので、迷わずしんちゃんの誘いに乗りました。

開きっ放しになってた後ろの出口から、2人で素早く抜出し、ブランコをしに行きました。

先生は、けっこう長く黒板に向かっていたようで、気づかれずに済んだようです。

ブランコを漕ぎながら、しんちゃんが言いました。

「こりゃあええのぉ。 明日もやろうで!」

翌日、2時間目は国語の授業でした。

先生が黒板に向かったとき、しんちゃんが目配せしてきて、出口の方へ向かいました。

でも、昨日と違ったのは、それが授業が始まってまだ20分しか経っていない頃だということです。

「しんちゃん、そりゃあなんぼなんでも早過ぎるやろう。」

と思いましたが、しんちゃんは、構わず出口を出るところまで行ってたので、慌てて後を追いました。

ブランコを漕ぎ始めてすぐに、しんちゃんが、

「あっ!」

と言って3階の教室の方を見たので、私も目をやると、教室の窓から、担任のS先生とクラスのみんながこっちを見ているではないですか。

先生が叫びました。

「すぐに戻ってらっしゃい!」

2時間目の残り時間を床に正座して受けさせられ、さらに放課後には1時間ばかりの正座&国語の教科書の音読の刑が待ってました。

「あさ、あさ、あかるいあさ。

山がひかる。 川がひかる。

おはよう、おはよう、さあいこう。

みんななかよし、さあいこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

けっきょく、次の日から、私としんちゃんの行動はクラスの全員から見張られることになり、授業抜出し大作戦は、2回だけで終わってしまいました。

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姉弟ゲンカ

「The Way We Were」シリーズ第10話は、姉弟ゲンカの思い出です。

姉とのケンカは、いつも私が負けてしまいます。

ルールは、父親が勝手に決めてました。

「先に泣いた方が負け」だと。

弟とのケンカと違って、決まって口ゲンカです。

姉の口からは、よくもまあ次から次へと私が気にしていることが飛び出したものです。

私は、最初のうちは必死で言い返すんですが、すぐに言葉に詰まって、悔しくて泣いてしまいます。

姉にとっては、ケンカというよりも、からかってただけなのかもしれませんが・・・。

あるとき、そんな私に腹を立てた父親が姉のことを後ろから羽交い絞めにして、泣きじゃくっている私に向かって言いました。

「いつもいつも、女に負けてビィビィ泣きやがって、わしが抑えといてやるけぇ、殴れ! 早う殴れ!」

私は、どうしていいかわからず、ただただ泣くばかりでした。

ケンカで1度も姉に勝てない自分が情けなく、腹立たしい気持ちを抱え続けてきた私でしたが、意外にも、そのことをきっかけに、気づいたんです。

「女を殴れるわけ無いやん!」

無意識のうちに姉には手を出せないでいた、実は恰好いい自分に気づきました。

恐らく、仮面ライダーやウルトラマンを通じて、弱い者イジメは卑怯者のすることとか、男は女を守ってやるものと言った事が、当たり前のこととして刷り込まれていたんだと思います。

翌日から、姉のからかいがアホらしく思えるようになり、あまり腹も立たなくなりました。

バカ姉弟 (1)     ヤンマガKCデラックス

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