政治・経済・国際・教育

秋の連ドラ(2010)

秋の連ドラは、次の9つを見てます。

「相棒 season9」

「流れ星」

「フリーター、家を買う」

「医龍3」

「ギルティ」

「パーフェクト・リポート」

「モリのアサガオ」

「秘密」

「獣医ドリトル」

見過ぎや~!

中でも「モリのアサガオ」は見ごたえがあります。

「黄金の豚」と「ナサケの女」も2話まで見ましたが、つまらないので見なくなりました。

海外ドラマは「カイルXY」だけ見てますが、これがけっこう面白いです。

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小学生に株ぅ!?

世間は夏休みの真っ只中で、ネット上でもやたらと小学生向けの株式セミナーなどの文字が目につきます。

ほとんどが証券会社が主催するものですが、小学校の授業で、株のお勉強を取り入れるべきと言う声も上がってると聞きます。

これには、小学校で学ぶべきことは他に幾らでもあるだろうと思わざるを得ません。

どうしても、小学生に株を教えたいのなら、

「株式投資というのは、実はギャンブルなんだ!」

と言うことを叩き込むだけで充分でしょう。

株式投資にしろ、投資信託にしろ、マンション投資にしろ、元本保障されてないものや、投資額が保障されてないものは、損をする可能性があると言う点においては、広い意味でのギャンブルに他なりません。

株の買い方を教えることは、極端に言えば、馬券の買い方や、宝くじの買い方を教えることと同じことです。

株価チャートの見方や板の読み方を教えることは、パチンコ攻略本や競馬新聞の読み方を教えるのと大して変わらないでしょう。

そんなこと、少なくとも義務教育で教えるとでは無いでしょう。

子供の頃から株に親しんでおいた方が良いと言う側の意見としては、

経済感覚に富んだ人材を育成し、世界的な大買収時代に備えるべきとか、

お金の大切さを教えるためとか、

が想像されますが、株にギャンブル的側面が含まれている以上、

いくら言葉を尽くして教えたとしても、

経済のしくみや、お金の大切さや、勤労の大切さを勘違いして身に着けてしまう危険性は否定出来ません。

ただ、だからと言って、株やギャンブルを否定している訳でもありません。

むしろ、自分で稼げるようになったら、あぶく銭の範囲内で、株やギャンブルに手を出すことはお奨めです。

そこから見えてくることも多いでしょう。

世の中のしくみだけでなく、自分自身の中に潜む金に対する執着心や、浅ましさなどを嫌と言うほど思い知らされます。

己を知ることは、決して悪いことではないと思います。

それに、資本主義&民主主義社会に身を置いていると特に、人生自体にギャンブル的な要素が多分に含まれてる訳だし・・・。

しかし、自己が確立されてない子供達にとっては危険です。

経済のしくみやお金の大切さを勘違いしたまま育つことと併せて、自分自身をも勘違いして育ってしまいかねませんから・・・。

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教育再生会議(第一次報告)雑感②

先日発表された 教育再生会議の第一次報告.に関して、前回(雑感①).は、「高校での奉仕活動の必修化」に対する反対意見を述べたので、今回は賛成する点について取り上げてみたいと思います。

それは、7つの提言の中の4項にある「社会の多様な分野から優れた人材を積極的かつ大量に採用する」ということについてです。

単純に、いろんな先生が居た方が面白いですから。

学校は面白い方がいいですから。

それに、教師にしてみても、小・中・高・大と16年間も学校生活を送って、そのまままた学校を職場とするってシステムだと、どうしても視野の狭い教育者にならざるを得ないんじゃないかな。

自分の教え子たちは、ほとんどが会社員になるんだから、中には10年くらい会社勤めを経験した教師がいてもいいんじゃないかなとも思う。

ただ、どこの世界にも「~道」というものがあって、教育の世界にも当然「教育道」なるものがあると思うので、外から来た人間がいきなりいい教師たりえるわけでは無いでしょう。

こと教育に関しては、道を究めるのは、実はどの分野よりも険しく、難しい気がします。

例えば、今私に教師をやれと言われても全く自信が無いですし、そう考えると今教師をやられている方は凄いと思います。

だからこそ、特にマスコミと現役教師の方々には、他分野から教師へ転職して来られる方のことを長い目でみてあげて欲しいと思います。

1年やそこらで判断するんじゃなく、そうですね、3~10年くらいの長いスパンでしょうか。

現役教師の方々には、

「使えね~な。 教師をなめんなよ!」

と言ってイジメ、せっかく意欲を持って他分野から来た人間をすぐに排除するのでは無く、

「10年後には俺がこいつをいっぱしの教育者に育ててやるぜ!」

ぐらいの気概をもって前向きにサポートしてあげて欲しいと思います。

1度他分野を経験した人材が10年かけて掴んだ「教育道」は、学校の世界しか知らないできた教師のそれよりも、もしかしたら一層「味」のあるものになってるかもしれません。

そういった人材が教育界に加わることが、子供たちにとって良いことかどうか真剣に考えて、自分たちのこれまでやってきたことへの自負やプライドにこだわり過ぎる事無く、大局観に立って受け入れて欲しいと思います。

マスコミも、一時的な教育現場の混乱ばかり取り上げるのではなく、他分野から教師へ転職した人材を応援するような特集も組んであげてね。

それから、これは今回の報告書に書かれてたことでは無く、たまにテレビのコメンテーターの方の口から耳にすることですが、大量に退職される団塊の世代の方々を教育分野に投入してはどうかと言う案についてです。

これについては、もろ手を挙げて賛成する側には回れません。

なぜなら、彼らはともすれば「俺たちの時代にはこんな酷く無かった」とか、「俺たちの時代はああだった、こうだった」と言いがちだからです。

もし、今の時代よりも自分たちの子供の頃の方が良かったと思うんだとしたら、まずは、自分たちのやってきたこと(特に子育て・教育)をシッカリと反省してからにして欲しいですね。

なぜなら、今の世の中、良きにつけ、悪しきにつけ、団塊の世代の方々が数にまかせて強引に作り上げてきたんですから。

それがないと、また同じような団塊グランド(?)ジュニアを産み出すだけでしょう。

もし、自分たちのやってきたことは正しいという自信があるなら、今の世代に任せるべきでしょう。

理想を言えば、現役の方々がやってることをまずは認め、その上で経験を活かして現役をうまくサポートしてもらえるとしたら、それが一番いいと思います。

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教育再生会議(第一次報告)の雑感①

今月24日に 教育再生会議の第一次報告.がアップされたんで、気になってたとこ中心にざっと目を通しました。

何だかやたらと「真の~」とか「絶対に」といった強調的修飾語が目に付きますなぁ。

それはともかく、確か、総理の著書「美しい国へ」の中で、「ボランティアの義務づけ」という提案を目にしたときには、この日本語が理解できなかったんだっけ。

「ボランティア」という自由意志の精神に基づいた行為と、「義務」という強制的な意味合いの言葉が並んでたのでね。

「ボランテイアの義務付け」⇒「自由意志の精神を強制する」?????

と考えてしまったわけですな。

さて、その辺のところは有識者の方々の議論を経てどう表現されたのかな。

7つの提言の3番目の中に、「高校での奉仕活動の必修化」というそれらしい言葉を見つけました。

ボランティアって言葉をやめて、奉仕活動にしたんやね。

確かに「奉仕」って言葉を辞書で引くと、ボランティアと違って「志願して」とか「自分の意志で」とかいう意味合いは入ってないので、「奉仕」にしたんかね。

でも、奉仕活動にしろ、ボランティア活動にしろ、授業の一環として無理やりやらされるものでなくて、もっと、一人一人の心の内面から自然と滲み出てきた気持ちに従って行われるもんやと思うんやけどね。

自分でも社会に貢献できることは無いだろうか?

とか

人の役に立てることは無いだろうか?

とか自分なりに考えて、自分の置かれた環境内で、月に1度でも、いや年に1度でも、できる範囲でできることをするっていうものやないかなぁ。

主婦は主婦なりに、サラリーマンはサラリーマンなりに、学生は学生なりにね。

そして、他人から見たら立派なことをしてるように見えても、やってる本人は当たり前と思ってやるようなことをね。

恐らく教育再製会議の意図するところは、自分さえ良ければ他人や社会はどうなってもいいという大人で満たされた日本を変えたい、ってことにあるのかもしれないけど、どうも逆効果な気がする。

既に地域のボランティアサークルなどに参加して、純粋に自分の意志で活動してる高校生や、受験が終わって大学生になったら少しそういうこともやってみようと思ってる高校生などは、授業で強制的にやらされるなんて、アホらしくてやってらんないんじゃないかなぁ。

むしろ、高校生にもなって突然やらされるんじゃなくて、高校生になる頃には当たり前のように社会奉仕の精神が養われてるように、小学生の頃からそんな環境に置いてやることが大切なんじゃないかな。

授業じゃなくて、自然とそんな環境に・・・。

例えば、周りの大人たち、親・教師・近所のおっちゃん達が当たり前のようにボランティア活動をやってるような環境。

この場は、学校教育の話なので教師に限ると、例えば担任の教師が当然のようにボランティアサークルに属していて、興味を持った子供をそこへ連れて行ってやるとかさ。

ただ、総理が「美しい国へ」の中で言ってるように、「たとえ最初は強制であっても、まずは若者にそうした機会を与えることに大きな意味があるのではないか。」という気持ちが全く解んない訳でもないんだよね。

私自信、大学に入学したとき、女子大との合同サークルという不純な動機でボランティアサークルに入ったんだけど、それからの人生において大切ないろんなことを学べたという経験があるからね。

女性との付き合い方だけじゃ無くてだよ。

でも、それは参加できないときや、したくないときは行かなくても誰も文句言われないし、辞めたければいつでも辞めれたからね。

だから楽しかったし、続けられた。

結果、学べた。

授業でやらされたらそうは行かないぜ。

まあ、ど~しても「奉仕活動の必修化」ってやつをやりたいなら、それはボランティアでは無いってことを徹底してもらいたいね。

繰り返すようだけど、授業でやらされる時点でボランティアじゃないから。

強いて言うなら、ボランティア活動をやってる人がやってる事の手伝いまたは真似事?

例えば、その授業を受けた生徒が大人になって、外国の人とボランティア体験について語ることがあったとしましょう。

その日本人は得意気にこう言うでしょう。

「私も高校のときにボランティア活動をやったよ。 授業でやらされたからね。」

きっと、外国の人に笑われるでしょう。

また、別の話で例えると、阪神大震災や新潟中越地震のときに、こんなことを言うボランティアがいたと聞きます。

「ボランティアしに来たので、何すればいいか教えてください。」

とほざき、指示がないからと言ってトランプして遊んでたヤツとか、

ましてや、崩れ落ちたビルや住居の前で、ピースサインしながら写真を撮ってたヤツとか。

こんな勘違いした輩を産み出しかねません。

そして何より、ゆとり教育と同じように現場教師が本来の意味を勘違いして受け取らないよう、教師の方々の理解を得て下さいね。

教師の方々も、理解できないことを生徒に教えようも無いでしょうから。

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水谷修著『あした笑顔になあれ』

水谷修著『あした笑顔になあれ』を読み終わりました。

夜回り先生が、夜眠れない子供たちや、リストカットを続ける子供たちと向き合って得た子育て論を、主に大人たちに向けて書いた本です。

いろいろと興味を惹かれるお話があったんですが、その中に、

「人間は実体験を通じて人と触れ合っていかないと、こころが成長していかない。」

と言った記述がありました。 

この説が正しいとすると、常日頃私が感じている「今の大人(30~40代)は、私が中高生の頃(約25年前)の大人に比べて幼い気がする。」という感覚も頷けます。

なぜなら、まず、我々世代は親の世代に比べて、圧倒的に兄弟の数が少ない。

また、核家族化が進み、祖父母との関わりが希薄。

さらには、近所づきあいが減って、地域の中の怖いおじさんや、優しいおばさんとの関わりが少ない。

といったことは間違いないでしょうから。

我々世代ですら既にそうなのですから、少子化が進んだ今の子供たちは更に深刻です。

私の経験から考えても、兄弟や従兄弟や友達と遊び、ケンカする中で、喜び、悲しみ、悔しさ、歯がゆさ、嫉妬など、人間として大切な様々な感情と出会い、いやおう無しにそれらをコントロールする術を身に付けていったように思います。

多種多様な人々と関わることで心は鍛えられ、ときに疲れたときには、祖父母や親戚や近所の大人たちの優しさに触れ、大自然や音楽に癒されたりしながら再び人間社会に揉まれる事の繰り返しで、成長して来た気がします。

水谷先生は、さらに次のようにおっしゃてます。

「子供たちの様子を知ることは案外簡単です。まずは子供の目を見つめてください。瞳は輝いてますか。力強い視線で見つめ変えしてくれますか。」

社会問題化している子供たちの心の闇を照らすために、社会人としてこれぐらいのことはできそうに思いました。

しかし、目を見つめるべき子供たちが周りにいません。

せいぜい、田舎に帰ったときに、甥っ子、姪っ子の目でも見てやるとしますか。

でも、果たして、帰省できるくらいに身体が回復するまでの間、彼らが子供のままでいてくれるでしょうか。。。

最後に、もう一つ共感できた言葉を引用させて頂きます。

教育というのは、本来、根のないところや種がないところで、無理やり伸ばそうとすることではありません。 その子が自ら自分の可能性はどこにあるのか、自分の明日への種はどこにあるのか、それに気づくまで待つことです。」

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世界連邦運動協会

小学生の頃から、社会科が一番苦手でした。

高校でも社会科を避けるように理系に進みました。

その上、活字嫌いで、新聞もろくに読まないで過ごしました。

そんな私が世の中のことを何も知らない自分に気づいたのは、ようやく社会人になってからでした。

営業職に配属された私は、お客様との会話について行けず、仕事にならないので、やむを得ず新聞を取り始めるとともに、世の中のことを手っ取り早く知るための教科書になるような書物を本屋で探しました。

そこで目に入ったのが、その名のとおり、高校の政治・経済の教科書でした。

一応、政治・経済面の基礎はだいたい詰まってるんじゃないかと思いまして・・・。

しかし、けっきょく最初の数ページに目を通しただけで、今まで本棚の片隅に眠らせてしまいました。

そのことを思い出して、最近、暇にまかせてパラパラと眺めてました。

10数年前のものなので、古いってことは承知の上で・・・。

すると、そこに「世界連邦」という組織のことが少しだけですが書いてありました。

私は、最近、「戦争を失くすには世界中の軍事組織を1つにまとめればいいじゃん」というような生意気な記事を書きましたが、どうやらこの「世界連邦運動協会」という団体は、そんなような理念で立ち上げられたようです。

私のような素人の思いつきなんかより、60年も前から取組んで来られた団体のことを知らないとは、失礼しました。

しかも教科書に載るくらいに有名だとは・・・。

このような組織に一部主権を委ねてまで戦争の悲劇を失くすべきなのか、各国民がそれぞれの主権にこだわって、このまま戦争の悲劇を続け、いつか核兵器によって人類滅亡の道を歩むのか、そろそろ本気で考えてもいい時期なのかもしれませんね。

30年後ぐらいの長期的視野で。

ただ、それまでの間の国防については、並行して考えるべき問題ではありますが・・・。

関連記事1: 〓さざまるの雑記〓: 横山秀夫著『出口のない海』.

関連記事2: 〓さざまるの雑記〓: 池上彰著『そうだったのか!アメリカ』.

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横山秀夫著『出口のない海』

横山秀夫著『出口のない海』を読み終わりました。

この小説は、佐々部清監督の手によって映画化されており、「半落ち」以来の横山&佐々部コンビの作品となってます。

現在上映中なので、中身については詳しく述べないことにしますが、第二次世界大戦中の人間魚雷「回天」に搭乗して死んで行った一人の男を中心とした物語です。

第二次世界大戦における日本の悲劇として語り継がれているものとしては、民間人を巻き込んだものでは、広島・長崎の原爆投下、沖縄の地上戦、東京大空襲、ソ連軍の侵攻などが主に挙げられますが、日本の悲劇の中では、神風特攻隊とこの人間魚雷にまつわる物語が一番せつなく、やるせない気持ちにさせられます。

それは、この本にも書かれてますが、人としての感情を捨てて兵器の歯車になりきらなければ成立しえない「必死隊」だからでしょう。

戦争体験の無い作者が、持ち前の想像力を駆使して、揺れ動く当時の人々の心を上手く表現していると思います。

読みながら、思い切り感情移入してしまいました。

最終兵器「回天」という名の棺桶に詰め込まれ、兵器の歯車として死んで行くなんて絶対に嫌じゃ~!

でも、

敵国にみすみす上陸され、文化・伝統を、郷土を、家族を、土足で踏みにじられるのも嫌じゃ~!

では、こうなる前に、戦争になる前に、ならないようにするしかありません。

そのためには、素人の思いつきで申し訳ありませんが、地球上の軍事組織を1つにするしかないように思います。

実現に向けては様々な問題があるでしょう。

問題点が国によって違うでしょう。

しかし、その問題の1つ1つが本当に人の命より大切なことかということを、いちいち問いかけてみるという作業を初めてみる価値はあるように思います。

果たして、人の命より大切なものはあるのでしょうか?

2度も世界大戦を経験して、嫌という程戦争の悲惨さを味わったので、そろそろ次のステージに進みましょう!

難しい問題は、シンプルに考えるのが一番です。

あなたは、次のものを守るために自分の命を捨てることができますか?

意地、プライド、夢、希望、仕事、趣味、自然、思想、宗教、文化、伝統、財産、国家、故郷、土地、家、隣人、友人、恋人、親戚、ペット、祖父母、父親、母親、兄弟、奥さん、旦那さん、子供。

どれならOKですか?

また、これらのもの(+自分の命)を守るために人を殺めることができますか?

これらのものを守るために自分の愛する息子を死地に送り出せますか?

「このような大切なものを守るために命を失くしては意味が無い」

と言う人がいるかもしれません。

逆に、

「このような大切なものを失くしてまで生きていても意味が無い」

と言う人もいるかもしれません。

この本は、戦争になると嫌でも、何のために死ななければいけないのかという問題と向き合わざるを得ないということを改めて教えてくれました。

いや、戦争になってからでは遅すぎます。

憲法改正論議は、このようなことを真剣に考えるにはいい機会かもしれませんね。

でも、その議論を世界規模に拡げなければ最終的に戦争は無くなりません。

それができるのは、唯一の核被爆国で、曲がりなりにも平和憲法を60年以上守ってきた日本かもしれません。

この本にも載ってた歌( 同期の桜.)ですが、去年亡くなった叔父が、酔っ払うとたまに歌っていたのを思い出しました。

ただ、叔父が歌っていたのは、リンク貼らせて頂いた歌詞のように、小説では「回天隊」となってるところが「兵学校」だったように思います。

貴様と俺とは 同期の桜 同じ回天隊の 庭に咲く

咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散ります 国のため

(関連記事) 〓さざまるの雑記〓: 池上彰著『そうだったのか!アメリカ』.

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著者:横山 秀夫
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佐藤雅彦、竹中平蔵共著『経済ってそういうことだったのか会議』

佐藤雅彦、竹中平蔵共著『経済ってそういうことだったのか会議』を読み終わりました。

何年かに1度、経済の入門書的な本を読んでおきたくなるときがあります。

ともすればアメリカ的資本主義社会の荒波に飲み込まれてしまいそうな昨今、そのような漠然とした不安から、自然とそういった本を欲するのかもしれません。

今回、久し振りにそういった気持ちが湧いてきて、手にした本は6年前に書かれた当書籍でした。

期待通り、経済活動の意義を振り返りながら、それでいてさらりと読めるわかりやすい内容になってました。

経済ってそういうことだったのか会議 Book 経済ってそういうことだったのか会議

著者:佐藤 雅彦,竹中 平蔵
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安倍晋三著『美しい国へ』

安倍晋三著『美しい国へ』を読んで見ました。

内政問題を語る「少子国家の未来」と「教育の再生」の章には多少方法論も書かれてますが、

外交問題を語る「自立する国家」と「ナショナリズムとはなにか」と「日米同盟の構図」と「日本とアジアそして中国」の章は、今までのことがメインで、これからのことまでは、あまり言及されてません。

外交問題は、相手があることなので、相手の事情によっても変えて行かなければならないため、今後どう取組んで行くか、一方的に書いても無意味だからでしょうか。

ざっと読んだところでは、日本の将来を憂いてる気持ちは伝わって来ましたが、靖国参拝どうするのかとか、拉致問題どう解決して行くかなどについては書かれてなかったので、マスコミ中心に政策論争を盛り上げてもらって、明らかにして欲しいです。

あと、各論の中で気になった点ですが、教員免許の更新制度については、行き過ぎないように注意してもらいたいと思います。

わいせつ教師など、社会人として、また人間としておかしなことになってしまってる教師を見極めるだけのものにとどめて欲しいです。

そうでないと、それでなくても視野の狭い教師という人種を、さらに画一的なものにしてしまいかねない危険性があります。

大人の目から見てダメ教師に映る教師から、人生勉強をすることが多くあります。

私の体験から考えると、むしろ、その方が多いと言っても過言ではないくらいです。

教師の多様化を図る意味では、異分野の人材の中途採用には賛成です。

すでに次期首相は安倍さんに決まった感がありますが、ぜひ政策論争をやってもらって、それに対する国民の反応を政策に反映してもらいたいものです。

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なんだ、けっきょく地方が選んでんじゃん!

昨日の「サンデープロジエクト」に森喜朗前首相が出て、要約するとこんなような事をおっしゃってました。

「最近の政治家、特に二世議員などは、皆地方のことを知らな過ぎる。

それは、生まれも育ちも現在の住居も東京だから。

私らの時代は、地方出身者がたくさん居たので、地方の抱えてる問題を良く解ってた。

安倍君も、もっともっと、お父さんの出身母体の油谷町の方々の話を聞いて、地方に根ざした政治を心がけてもらいたい。」

おっ、いい事言うなぁ。

と一瞬思ったんですが、ちょっと考えてみて思いました。

そうであれば、選挙制度を変えて、自分が生まれ育ったか、もしくは今住んでいる選挙区からしか立候補できないようにすれば、常に地方の事を良く知ってる国会議員が当選することになるので、いいんじゃないかと。

そうすれば、刺客だとか九ノ一だとか落下傘だとか、その選挙区のことを全く知らない候補者を擁立するという訳の解らない状況にもならないだろうし、二世議員などは、みんな東京から立候するしかなく、東京が大激戦区になって面白いぞと。

政治に関しては超ドシロウトの割にはいいこと思いついた、と暫く悦に入ってました。

しかし、更に良く良く考えてみると、そんな地方のことを良く解らない政治家を選挙で当選させるのは、誰あろう地方の選挙民だということに気がつきました。

な~んだ、地方の方々がそれでもその人がいいと思って選出してるんだから別にいいんじゃん!

けっきょくは、民主主義って、素人の私の浅知恵なんかよりは良くできてるなぁ。

と思いました。

でも、なんで、地元で育ってもいないし住んでもいない、地元の事を良く知ってるとは到底思えない人間をわざわざ選ぶんでしょう?

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